2002年10月に1年半勤めた会社を退社した。
1年半ともなると業務にもなれはじめ、上司・先輩とも仲が良くなり、後輩もできて大分落ち着く時期だった。
様々な思いが交錯し、悩み苦しんだが、多くの恩師、友人から背中を押され決断した。昔からの夢だった政治家になるために。
(政治活動を始めて間もなく
石川台駅前にて)
学生時代にボランティアスタッフとして選挙を数回経験したが、今回は勝手が違った。それは自分の選挙だったからだ。
しかし、僕はもう歩き出してしまった。選挙まであと半年、悩んでいる暇などなかった。不安をかき消すために、とりあえず、自分の思いを訴えることから始めた。毎朝、毎夕駅前に立ち、ただただ喋り続けた。朝のざわついた時間、夕方の忙しい時間、人々は目の前を過ぎ去っていく。
初めは緊張して、声が震えた。が、しゃべり続けているうちにいつの間にか興奮している自分に気づいた。「これこそ、自分がやりたいことだったんだ。」それに気づいた頃には駅前での街頭演説は100回を既に超えていた。
本格的な冬がやってきた頃から、自然と仲間が集まってきた。昔からの仲間が心配して手伝いに来てくれたのだ。
(仲間との街頭演説
雪谷大塚駅前にて)
最初は数人の仲間だったが、一人が二人、二人が四人、四人が八人・・・と、どんどん多くの仲間が駆けつけてくれた。
気が付くと政治活動を始めて早3ヶ月、半分が過ぎていた。 自分の顔のポスターが町中に貼られ、演説をしていると声をかけてくださる方も増えてきた。2月には、初の「田中健君と語る会」を雪谷八幡神社で開催した。参加者20数名。決して多い人数ではない。しかし、今思うと、全員が最後まで応援し続けてくれた後援者達だった。
3月、選挙公示日まで1ヶ月。迫り来る、決戦の日に対する不安が過ぎった。しかし、僕には、これまで懸命に走り続けてきた自分に対する自信、そして、平日、週末、かまわず駆けつけてくれた学生ボランティア、そして、多くの地元の後援者達からの応援があった。
(出陣式 事務所前にて)
(選挙カーに乗り出発する田中健)
4月20日選挙公示日。遂に勝負の時がやってきた。ここまで来ればあとは突っ走るだけ、いつの間にか自分でも驚くほどの度胸がついていた。手作りの看板を乗せた選挙カーを走らせて出陣。皆の思い背に受けて選挙戦本番を戦う。
選挙戦中盤、何と民主党前代表鳩山由紀夫さんが応援に駆けつけてくれた。さすが、知名度抜群。朝早くにも関わらず石川台、洗足池、長原各駅で人だかりができた。
(選挙カーに乗り出発する田中健)
(ボランティア・スタッフ、地元後援者、
鳩山由紀夫前民主党代表、松原仁衆議院議員と
長原駅付近にて)
また、選挙期間中には学生時代インターン生としてお世話になった衆議院議員の松原仁さん、前区議会議員岡崎幸夫さんをはじめ多くの先輩方が毎日のように事務所へ足を運んで頂き、応援演説をしてくださった。
20名以上のボランティア・スタッフ、後援者が連日連夜詰めかけ、気がおかしくなるくらい走り狂った選挙戦7日間もあっという間に最終日を迎えた。
最後の駅前の街頭演説はもちろん地元、石川台駅。半年前、マイク一本、旗一本で始めた活動もいつの間にか大勢の仲間が集まり、地元商店街の方々も見守ってくれるようになった。
「政治の道を志し、民主党の門を叩いてから早半年。毎日、毎日朝から晩までここ石川台駅前でお訴えさせて頂きました。それも今日が最後になりました。本当に本当にありがとうございました・・・」自然と目に涙が浮かぶ。あとは結果を待つのみだった。
開票日。やれるだけやった。自信はあったが、それでも結果を見るまでは不安でいたしかたなかった。
「開票率30% 800票」当選ラインは2,700票。ギリギリだった。
「開票率75% 1,300票」絶望的だった。誰も、声も出せず、うつむいた顔を上げることはできなかった。僕はというと・・・とても言葉には表せるものではなかった。
「開票率95% 4600票」奇跡が起きた!何と一気に上位当選が確定したのだ!絶望から希望へ。地獄から天国へ。怒りから喜びへ。生還したのだった。
(当確直後 ウグイス嬢に囲まれて)
最終得票数4819.638票 (66人中7位 東京都最年少区議会議員に)
ご支援頂いた皆さま、本当に本当に有難うございました。
大田区議会議員田中健、これからも走り続けます。
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